ウィーン,ロンドン旅行記(2000年秋) ロンドン編

8日

 チューリッヒ経由で12時ごろロンドン到着。AVISのカウンターまでバスに乗る。 車借りる。
CAR
出発する。道がぜんぜん分からん。地図ないんだから 当然か(笑) 地図はAVISにあるだろーと思っていたら,なかったTT そうこうしているうちに,行き止まりみたいなとこに出る。あー,行き止まりかー。 ・・・あれ? あれれ? ギアがバックに排卵,違う,入らん。えっとー・・・ わからん。押したり引いたり,一回エンジン切ったり,ちょっと動かしてみたり いろいろ試したが分からん。むうう。バックできない車ほどやっかいなものはない(笑) まじでどうやって切り返すんだよ。一時はAVISまで歩いて戻ることも考えたが, かなり強引にいくことで,なんとかUターンできた。しかしもうミスは許されれない。 皆さんもバックできない車を運転することを想像してみてください。しかも道を しらない土地でw こんな経験なかなかできません(笑) しかし幸いにも,バックなしに AVISに戻ることができた。で,話きくと,実に簡単なギミックで,それを知らないと バックには入らないようになっていた。むう,ヨーロッパではこれが標準なのか? とにかく,貸すときに教えてくれよ(怒>AVIS)。で,バックできるということで安心して 出発する。相変わらず道はわからんが,とりあえずM3(高速みたいな道,でも無料) に乗って西にいく。イギリスの高速は,平均速度が実に速い。大体3車線あるんだが 一番道の追い越し車線は,平均速度140kmくらいある。こえーよ。 適当にウィンザーで降りる。SilwoodParkはウィンザーに近いって,誰か言ってたから。 理由はそれだけw  でも降りたって道は分からないw  というかこの頃はまだラウンドアバウトにもなれてなくて,さらにひさびさの MT車のため,迷惑かけずに走るだけでせいいっぱいであった。 適当に走ってると(おいw),ちっこい店発見。はいる。インド人がいる。

私:SilwoodParkというとこにいきたいんですが
インド人:は,どこそれ?

いろいろ地図を調べてくれるが索引とかみても載ってない。いきなりピンチ。 他の客とかもきて,結局

インド人:で,その地図買うの?
私:買います(涙;

なんか無理やり買わされたような地図ではあったが,結局のちのちまで 非常に役に立った。しかしとりあえず,今どこにいるかがわからんw さらに適当にM3にもどるべく走る。迷う。でもM3の看板をたよりに走ると, ようやく現在位置確認。なにしろ1人なので,走りながら地図みれない。 市街地で看板あるたびにとまるわけにもいかない。前回アメリカでレンタカー したときは2人だったので,私が運転して友人がナビという連携プレイが できたけど,今回はそうもいかない。あのときは彼がほんとにいい仕事してた んだなー。亀山君,あのときはありがとーw なんだかんだで, ようやくSilwoodParkの近くのAscotというとこまできた。 地図って本当に偉大だよなー(当たり前w)。 しかしここからが問題である。地図にのってない場所(実はのっていたことが 後に判明w)に,地図みたっていけるわけがない。そこで,万国普遍の法則, 分からないときは聞きまくる,を発動w  まずはその辺の小さい店にはいる。

私:SilwoodParkにいきたいのですが
店の人:え? どこそれ? 知らないね。ごめん。

むう。すでに日はくれかけている。どうも事態は予想よりはるかに危険になりつつ あるらしい。思わず笑いが出る(やばいw) で,さらに適当に走ると,なんか トラックがたむろしてるとこ発見。どうも輸送会社のトラックの基地のようだ。 こいつらなら!!

私:助けてください
#Will you please help me?   /  Please help me !
#こういうと大抵の人は助けてくれる。無謀旅行の基礎会話w でも話かけられた人は迷惑w
#さらに,自分が困っていることを話すのは,もし相手が悪人だった場合非常に危険です。
#良い子はまねしないようにw

私:SilwoodParkにいきたいのですが
若いにいちゃん達:どこだって? SilwoodPark? それAscotにあるの?
私:Ascotの近くだときいたんですが
若いにいちゃん達:うーん,それ会社? ああ,研究所? 名前は?
私:Center for Population Biology というとこです。
若いにいちゃん:ちょっとまって,調べてあげるから
私:ありがとー(涙;
若いにいちゃん:OK わかった。ここだよ。

といって,印刷した地図をくれる。感謝感激,これをみればすぐわかる。

私:ありがとー!
若いにいちゃん:あ,でもちょっと待って。いまこの辺に詳しい人がいたから,確認するよ
おっさん:うん,そうそう,ここ。
私:ありがとーー!!!
おっさん:いいってことよ。俺は昔消防士やってたから,この辺には詳しいんだ
私:ありがとー! (それしか言えんのかw

こうして,かろうじて日が暮れる直前の4時40分くらいに,無事目的地までついたのであった。 所要時間3時間。普通の所要時間の約5倍 (笑;

9日

 今朝は石井さんの家で,朝ご飯を(自炊で)食べさせてもらうことになっている。 その後,11時のお茶の時間に Godfrayさんと話をする。さらに江副さん,Crawlyさん, Claireさんなどと話をする。研究の話ばっかなので,この旅行記には書かない。 晩,パブでCrawlyさんともし4人そろえばブリッジをする約束をするが, 運悪くメンバーがそろわなかった。残念。そのパブには,なぜかでっかい スクリーンとプレイステーションがあったので,30分ほどゲームをして帰った。 SilwoodParkの宿は2泊で26ポンドだったが,朝ご飯がないこと,学生料金で あること,たいして綺麗でもないことを考えると,決して安くはないと思う。

10日

 今朝も石井さんの家で朝ご飯をいただく。いろいろよくしていただいて, 感謝感謝である。CPBにはあまり数理の人がおらず,さらにみんな忙しそうで あまりゆっくり話す時間もないようので,予定を早めて朝10時くらいに出発する。 目的地は・・・ストーンヘンジ!
途中Serviceとよばれる日本のサービスエリアみたいなとこによったりしながら,2時間 ほどでソルズベリに到着した。まずは i で今夜の宿を確保する。明るいうちに 一回場所を確認したほうがよかろうと思い,車ででかけていく。分からんw 15分ほど費やし,ようやく発見。車がとめれるところという条件だったが,停める場所は ただの道であるw PM5からAM9までは,法律によって停めてもいいところだ。 イギリスの道にはそういうのがいっぱいある。5時までは停めれないので(いっぱい とまってたけどw),宿を確認後,すぐにストーンヘンジに向かう。30分ほどで到着。 丘をこえると,ソルズベリ平原に突然と現れる巨大遺跡は,やはり圧巻である。 これまで古い建物とか絵画とかヨーロッパ的文明の象徴的なもんばっかだったので, こういう趣の違う観光地は楽しい。日本語パンフレットを買ったりして,いろいろと 楽しめた。
STONEHENDGE もうちょっと長い間いたかったのだが,外にずっといるとかなり寒いので,3時頃に ストーンヘンジを出発し,ソルズベリに戻った。昼ご飯を食べるためにマクドナルドに はいったのだが,このとき車をとめた場所が大失敗。15分ほどで食事を終えて戻って みると,警官が立ってます。

私:あの,私の車をみてるんですか?
警官:もう切符きったよ (なにー!!)
私:でもここいっぱい車とまってるやん。なんでおれのだけあかんねん
警官:この黄色い線をみてみ,ここからこっちは駐停車禁止や

はうう。あとで切符をよくみると,罰金30ポンドらしい(TT; いきなりついてないTT 意気消沈しつつも,車を近くの立体駐車場みたいなとこに移動し,ソルズベリの名物, ソルズベリ大聖堂に向かう。高さ100mを超える塔は,街のほとんどすべての場所から 見える。ちなみに入場料は4ポンド,あいかわらず高い。中は普通の教会。意気消沈 していた私には,なんの感動もなかった。カメラは一応もっていたけど,写真をとる気も 起こらなかったほど。
で,5時になったので,B&Bに戻るため出発。しかし道は夕方の渋滞で,大変である。 だーー! 一方通行ばっかでどうやっていけばいいんだよー。 そうこうしているうちに,前からきた車とぶつかりそうになる。

ドライバー:ここは一方通行だよ! 危ないだろー
・・・ごめんなさい。

なんとか宿に帰る。宿は17ポンドと非常に安かったけど,部屋にはちゃんと 洗面台,お茶,TVなどがあって,非常に快適であった。覚えておきたいB&Bだけど 名前は忘れたw

11日

 安くて快適なB&Bを出たあと,まずロンドン方面への帰り道の途中にある Museum of Flying Army Corps. に立ち寄る。外には大戦略(懐かしいw)で一躍 有名になった
ロシアの自走対空機関砲ZSU23−4シルカ
ZSU234
自走対空ミサイル車両のレイピア
RAPIER
などが展示されていた。中の展示は,第一次大戦機を中心に,ヘリやノルマンディ 上陸作戦時に使用されたグライダー(の復元)などがあった。また,WW1,WW2 フォークランド紛争,湾岸戦争等において使用された本物のフライログブックだの 地図だのブリーフィング用の黒板になんか書いてあるものだのがあった。 確かに古いログブック等は貴重なのかもしれんが,どうもただいろいろあるものを 雑然と展示してあるだけで,いまいちである。中の展示で一番興味をひいたのは, フォークランド紛争において,アルゼンチンの将軍がイギリスの将軍にあてた 降伏文書のコピーくらいであろうか。(本物はやはりイギリス国防省にあるのだろう か?w)

 で,その後ひたすら北東に突っ走り,1時間ちょっとで次の目的地,ウィンザー に到着する。最初はイギリスの高速道路の速いのに脅かされたが,この頃には すでに慣れており,「おらおら120kmなんかで走るんじゃねーよ,遅いんだよ」 というイギリス標準な速度感覚ができていたのであった(笑)

ウィンザーではソルズベリでの失敗を繰り返さないために,まずは駐車場へと 向かう。4時間6ポンド,うーん高いが仕方ない。で,一応ここにきたからには ウィンザー城へ。え? 10.5ポンド? つまり1800円くらい? イギリス王室も 商売してますな。しかしすでにここまで来てしまい,駐車料金6ポンドを払った後で あっては,払わざるを得ないのであった。。。 ウィンザー城はまあ予想通りといえようか, 特筆すべき点なし。すでにここまでの旅において,ちっとやそっとのゴシック様式系 でかい系石造建築物(たった今分類)には驚かされなくなっているのかもしれない。 エリザベス女王1世(いまの女王のいっこまえ)の若いころの写真とかがいっぱいあった。 この女性は,第二次世界大戦のとき,爆撃されまくったイギリス国民の士気を高め, ヒットラーがもっとも恐れた女性といわれている立派な人ではあるが,いかんせん 体はずんどうである,若い頃から(爆)。しかし肖像画等では,それなりに 描かれているのが笑える(英国王室ファンの皆様,ごめんなさいw)。 で,ウィンザー到着直後に i で予約していたB&Bへ向かう。時刻は午後4時30分。 外は雨でかなり暗くなっていたので,早めに行くことにしたのだ。

「車で15分つうから,なんとか明るいうちに着くだろ」

まさかこの先,私の人生における最大級の迷子を経験するともしらずに。。。

さて,そのB&Bは, Fifield Road というウィンザーから少し離れた細い道にあった。 まずウィンザー脱出に失敗し(笑,しかし一方通行が多い街では,地図みてもなかなか 思うとおりにいけない),あらぬ方向へ向けて脱出してしまう。ま,この程度は予想の 範囲内であり,再突入後正しい方向へ脱出し,無事FifieldRoadに入るとこまでは 成功したのであった。この時点で午後5時,雨はさらに激しくなり,外は真っ暗である。 i でもらった地図によると,この辺にパブがあって,その隣だというが,,,
MAP
うーん、MonorRoadより手前にはパブどころか家なんて3軒くらいしかないぞ。 分からんときは聞きまくる,の法則に従いまずは一人目の犠牲者ゲット。 なんたら Nursing House という看板のある家にキンコーン。おばさん登場。

私:ここはVictoriaCottageですか?
おばさん:ここは Nursing House じゃよ (はう,当然だw)
おばさん:Victoria Cottageなんて知らんよ
私:Fifield Arms っていうパブの隣にある Victoria Cottage つうとこを探してるんですが
おばさん:ああ,FifieldArmsなら,この道をいった先にあるよ。
私:ありがとー

道を聞いたときの「ありがとー」だけはすでに達人の域に達しつつある。さて,ちょっと いくとパブ発見。しかし名前が違う。こんな田舎にパブが何軒もあるんかいなと思いつつ さらに行く。あ,交差点。そこから先はすでにFifieldRoadではないらしい。Uターンできる とこまで行って,戻る。んー,パブなんてねえぞ。どうももらった地図に示されている 点は,かなりいいかげんなものらしい。そこで次は,さっき見つけたパブ (頭文字をとって,HHパブと命名)に突撃する。二人目の犠牲者ゲット。

酔っ払い:なんでい,迷子か?(お,話が早い)
私:そうなんです
酔っ払い:どこ行きたいんだ?
私:FifieldArmsっていうパブはどこですか?
酔っ払い:あー,それならあっちだ。この道をまっすぐ行って国道(A308)とのジャンクション のとこだ。
私:ありがとー

うーん,先のおばさんと言ってる方向が違うぞ。ま,いいや。行くべし。いくとたしかに パブ発見。喜んで車を停めて近づくと,うーん名前が違う。このパブの名前は, もらった地図にもあるよなあ。ここじゃない。道を聞こうかと思ったが,そのパブには "Non-Residents are welcome" と書いてある。こんなに Non-Residentsが入りにくい パブが存在するだろうか? 少なくとも私には入れなかったw で,しゃあないので 引き返す。時刻はそろそろ5時45分。もう真っ暗である。B&Bには6時にいくと連絡して あるので,はよいかないと予約を取り消される恐れがある。 ここは勇気をふりしぼって! HHパブに再度突撃。(のべ)3人目の犠牲者 =さっきの酔っ払いゲット

酔っ払い:なんでい! また来たのか??
私:わらからないっす
酔っ払い:なんで分かんねんだよ,何見てたんだ?
私:Fifield Arms っていうパブの隣にある Victoria Cottage つうとこを探してるんですが
酔っ払い:なんだって? ちとそれ見せてみ。ああ,VictoriaCottageかい。 それならあっちだ。 さっきはパブっていうから,別のパブの場所を教えちまった。FifieldArmsはパブハウス だけど,こんな感じのパブじゃないよ。VictoriaCottageはあっちだ。すぐだよ
私:この地図だとどの辺ですか? (普段なら,ありがとー,のポイントだが少しくいさがるw)
酔っ払い:地図なんてわかんねえよ!(かな? 英語解読不能,とにかく地図は見てくれない)
私:車で2分か3分くらいですか?
酔っ払い:おう。2分,いや1分だな。
私:ありがとー (もっと食い下がらんかいw)

やはりおばさんは正しかったらしい。車で2分以内という重要な情報をゲットし,再び 探索に出る,が。。。。。わからん(涙; 教えられた方向に車で2分以内の範囲には,家が20軒 くらいあるが,どれも民家で,看板を見ようと近づくと電灯が自動的について,なかから 住民がこっちを見たりするので,なかなか近づきにくい。んー,まじで分からん。 大体街灯もほとんどなくて,真っ暗だもんなー。車のライトがないと,距離50cmくらいまで 近づかないと,看板が読めない。
でも少なくとも,このもらった地図にある地点でないことだけは確かだよなあ。この地図に 正確な場所が記されてないからおかしいんだよ! 3ポンドも紹介料を取って おきながら。。。あの i のばばあ,ぶっころす!! などとたいがい頭にきつつも FifieldRoadを往復していたのであった。。。 しかし,わからん。
わからないときは? そうですね(笑) Fifield Inn というレストランみたいなとこに 突撃。4人目の犠牲者ゲット。カウンターに誰もいないが,何度か叫んだら出てきたw

バーテン:あーごめんごめん
私:あの完全に迷子になってしまったんです。
バーテン:うい,地図みせてみ。あー,VictoriaCottageならあっちだよ。歩いて15分くらいかな
私:歩いて15分ですね
バーテン:うん
私:ありがとー

これで,目的地はHHパブとInnの間で,そのちょうど中間くらいであるとこまでは確認された。 距離にして,500mくらいである。こうなったら1軒ずつ全部調べたる! 調査開始。 何軒目かで,番犬に吠えられる。こわい。断念(笑)するわけにもいかず調査開始から 15分経過,Victoriaではないが,なんたらCottageを発見。どうみてもただの家にしか みえないが,むろん突撃する。5人目の犠牲者はお兄さんであった。

私:VictoriaCottageに行きたいのですが
お兄さん:あー,それならうちの隣の隣だよ。
私:おお,そんなすぐそばですか。
お兄さん:うん,でもえーとなんていったらいいかな,ちょっと分かりにくいんだが。。。 とにかく隣の隣の建物だよ。
私:ありがとー

当然,隣の隣の建物に突撃。6人目の犠牲者(なんだな,これがw)ゲット

私:ここがVictoriaCottageですか?
お姉さん:VictoriaCottageなら,この建物の向こう側のドアよ。
私:ありがとー

そのドアは,実は30分ほど前に発見したB+Bの看板の矢印のさす方向にみえない こともなかったので,一回ノックしたものの,反応がないために戻ったという 恐怖のドアであった。

DOOR 民家の裏口にしか見えないドアを,今度は思い切り 3回くらい叩く。出ない。待つ。約1分後,ようやくおばさん登場。

私:ここがVictoriaCottageですか?
おばさん:そうよ

当然のように答えられてしまった。頼むからもっと分かりやすい&名前が入った 看板出してくれよ(涙; 大体FifieldArmsってどこなんだよw FifieldInnのことなのか? それにバーテンのおっさん,歩いて15分って冗談でそ? 歩いて2分だよ,この距離はw 。。。ま,いずれにしても着いて良かった。到着時刻は7時であった。所要時間2時間30分, うーん,ソルズベリのB&Bまで戻るより遠かったな(爆; ちなみに今,そのFifieldInnでこの日記を書いている。

12日

今日は朝から1日ロンドン観光の予定である。朝8時にB&Bで朝食をとって,さっそく 出発。廻る予定は,午前10時開館の大英戦争博物館にまずいき,昼ご飯を食べてから, 午後6時閉館まで大英博物館という作戦。10時にはロンドンで駐車場と今夜の宿を 確保しておきたかったので,急いで出発する。M3からM25のジャンクション越えて, ロンドンに最も近いServiceにはいる。ここに i  があるかな,と期待したけど,ない。 しゃあないので,車に戻ってと・・・ あれ? なんかポケットに変な鍵があるぞ?

それは見事に昨夜とまったB&Bの部屋の鍵でした(号泣)

しゃーないので,もっかいB&Bに戻る。相変わらずドアノックしても,おばさん 出ない。勝手に中はいる。机に鍵おいとく。車もどる。同じ道を戻る・・・ そしてロンドンに 入ったのは11時くらいであった(T_T;
しかしロンドンは道は混んでる。そのうえ,日本でもそうだけど,道の表示国道何号とか じゃないので,どこにいるのかぜんぜん分からん。これは下手にマイナーなとこに 停めるわけにはいかんと踏んだ私は,ハイドパークの地下駐車場に車をいれることに 決定。なんか高そうだが,やむをえまい。さらに,最終日くらいはいいホテルにとまろうか と画策していたため,付近(Marble Arch)のホテルをいくつかあたる。
200ポンド?
140ポンド?
230ポンド?
んーと,宿は後回しにして,まず博物館いこー(現実逃避w)
ロンドンはあらかじめ日本でガイドブックを買っておいたため,現在地さえわかれば 勝手はわかる。地下鉄の1日乗車券が5ポンドくらいで,安くてよさそうだ。
←駐車料金だけで毎日6ポンドとか30ポンドとか(笑)とられてるので,交通費の 金銭感覚が狂いつつあるw
大英戦争博物館 (Imperial War Museum) には,こんなん
FW190
があって,楽しかった。さらに大英博物館にいどー。午後2時くらいだった。 まずは入ってすぐに日本語ガイドブックを買ってと・・・あれ? ない。

私:日本語のガイドブックないですか?
インド人っぽい店員:これ中国語だよ(みりゃ分かるよw)
私:日本語のないの?
インド人っぽい店員:ないね

中国語があって,日本語版はないのか? そんなわけはないと思うんだが・・・ とにかく,世界史なんて全然知らない私にとって,ガイドブックは必須アイテムである。

私:日本語のガイドブックないですか?
白人のおばさん店員:すいません,いま売れきれで,印刷中なんです。すいません。

むう,やっぱないのか。
#余談だが,イギリスにはインド人風と白人の2系統の人がいて,店員としてみるかぎり,
#あきらかに白人のほうが礼儀がよくて親切である。インド人風店員は,英語も
#何言ってるか分からないことおおし。教育の違いか?
#人種差別のように聞こえるかもしれんが,事実なんだからしょうがないw
いきなりトーンダウンしつつ,無料のちっこい英語パンフだけもらう。まずは,エジプト ゾーンへ。いきなり人だかり発見。ほほう,これがロゼッタストーンですか。 写真とろうかと思ったけど,あまりにも人がおおいので断念。ちなみにいまは 4方が完全にガラスで覆われてるため,ロゼッタストーンには触れません。
ほかにも山のようにいろんなものがあるけど,どうも朝からずっと歩きっぱなしの せいか,足が痛い。うーん,何が何かわからんと,大英博物館あんま楽しくないなー。 そういや,今晩の宿きめないと。
つーわけで,ガイドブックにあったB&B街にまずは地下鉄で乗り込む。何件目かに 許せる値段の宿を発見。50ポンドなり。地下鉄乗って,ハイドパーク戻る。今日は 日曜日なので,車を道に停めれるらしい。それは聞いてたんだけど、繁華街には 車がとめれそうなとこは全部埋まってるし、変に路地裏とかに入ると、今度はどこに とめたか分からなくなるから、とめなかったのだ。しかしここのB&B街はなんか道が やたら広くて、駐車場所が空いている。移動せねば。

駐車場の人:16ポンドです

え?(涙; しかしごねようがない(ちゃんと入り口に料金表があるんだからw) ので払う・・・

13日、14日

空港でおみやげ買って、帰国。
今回のイギリスレンタカー旅行の教訓としては、
  1. 事前に地図を入手しとく。
  2. なんか路上駐車ばっかに見えるが、実はルールがあるのでよく見てとめる。
  3. ロンドンには車でいかない! 郊外から戻ってきたら、ヒースローで車返して、 ロンドンは地下鉄でまわるのがいいと思います。
くらいかな。
ま、とにかく生きて帰れてよかったです(笑;
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